2016/06/16 00:27

本物のアーティストだ。

http://www.nikkanberita.com/ 

元カミカゼ(特攻隊員) Seimei (生命)の画家 吉田堅治氏 パリに死す 英紙が追悼記事 英紙インディペンデントとガーディアンの死亡記事で、パリ・モンパルナスのアトリエを拠点に、「生命 Seimei」の絵を描き続けていた日本人画家、吉田堅治氏のことを初めて知った。

死亡記事で吉田氏のことを初めて知るとは……これはもうわが不明を恥じるほかない。お亡くなりになったのは、ことし2月24日。84歳だったそうだ。その死を遅ればせながら聞いた、インディペンデントとガーディアンの美術記者が、それぞれ長文の追悼記事を載せた。

吉田堅治氏は、なぜか日本で、個展を一度も開かなかった人だが、英国ではロンドンの「オクトーバー・ギャラリー」や大英博物館(美術館)の「個展」開催を求めるなど、評価が高かった。

追悼文を書いた記者たちは、吉田堅治氏の絵に心を動かされた人たちだ。両紙の記事を読んで分かった。両紙の記事によれば、吉田氏は大阪・池田の生まれ。美術学校の教師見習いをしていた1943年、帝国海軍に召集され、カミカゼのパイロットとなった。敗戦が若い画家の「生命」を救ったわけだが、恩師のフクドメ・マサル氏(平和主義者で戦時中、獄死)から「銃ととるのでなく絵筆を持て」と教えられたことを忘れず、戦後一貫して、「生命」の尊さを描き続けて来た。

パリに出たのは、1964年。恩師と同窓生の生命を奪った「東・西」二つの伝統の敵対を超える、和解による融合を、絵画的に表現しようとして、モンパルナスのアトリエで仕事を始めた。作品には、全て「生命 Seimei」と名づけた。エジプトやメキシコなどに足をのばすなど、世界の舞台に絵を描き続けたが、描くテーマは、ひとつ――「生命 Seimei」だった。

日本の画壇、美術ジャーナリズムからは無視されたが、1993年には大英博物館の求めで個展を開いた。皮肉にも、同博物館の「日本ギャラリー」のオープン記念だった。2007年には「オクトーバー・ギャラリー」で、「Inochi To Heiwa」というタイトルの個展を開いた。その展示作品を、下記の同ギャラリーの「サイト」で見て、「見る者を、敬虔な沈黙、あるいは涙に誘う」と書いた、ガーディアン紙記者の批評を納得できる気がした。

神戸とパリを行ったり来たりして仕事をしている、画家の松野真理さんのブログに、亡くなる少し前の、吉田堅治氏の写真が載っていた。

「パリの孤独」に耐え、絵筆一筋に生きて来た人の、生涯を終える直前の、食卓でのスナップ写真だった。

「生命 Seimei(あるいはInochi)」を描き続け、遂には「平和 Heiwa」〈に(To)〉繋ぎ切った吉田堅治氏の画業は、日本でも広く、知られるべきであろう。 

http://www.independent.co.uk/news/obituaries/kenji-yoshida-artist-whose-work-was-shaped-by-his-wartime-experiences-1681851.html

http://www.guardian.co.uk/world/2009/mar/16/kenji-yoshida-obituary

〈松野真理さんのブログ〉 http://d.hatena.ne.jp/marimatsuno/20090119

〈ロンドンのオクトーバー・ギャラリー〉http://www.octobergallery.co.uk/artists/yoshida/index.shtml